【読書】日の名残り/カズオイシグロ (ネタバレ含)
2022年に書いて、下書きに保存されていた読書感想文を見つけた。
今改めて見ると、よくこんな長文書いたなって思う。せっかくだから投稿します。
昨年読んだ「わたしを離さないで」が、私のカズオイシグロデビューだった。これは頑張って原文で読んだので、残念ながら英語力の問題で、細かいニュアンスを理解しきれていないところはあると思うのだが、予備知識ゼロで読んで、こんなストーリーなのかと驚かされた。淡々と語られる衝撃的な話といえばいいだろうか。
「わたしを離さないで」読了後、他の本も読んでみたいと思ってたところ、先日宿泊したホテルにこの本(日本語訳版)が置いてあり、これはラッキーと一日で読んでしまった。とにかく宿泊中に読み切らねばとサササと読んでしまったが、もう少しじっくり読むべきだったと後悔するほど、心に残る本だった。
この本は最初から最後までスティーブンスというあるイギリスのベテラン執事の一人語りで進むのだが、スティーブンスから語られる過去の出来事や現在の行いは、彼が無意識に美化・正当化したものになっている。
そのためスティーブンスに読み手を騙す気はなくとも、客観的な事実とは反するものになってしまっている箇所が多々ある。こういう手法を「信頼できない語り手」と呼ぶそうだ。
・・・というのを、予備知識なく読み取る読解力は私には無く、私はそのやや歪められた話を、正直に受け止めたまま読み進めていた。
彼が以前に仕えたダーリントン卿、この人は結果的に騙されてナチスに加担するような形になってしまい世間から非難を浴びて最終的には自死するのだが、スティーブンスは頑なに、この方は少し間違いを犯したこともあったかもしれないが本当は素晴らしい方だったと擁護する。
この辺、分かる人なら読んでいる途中で、この語り手のこじつけや違和感に気付いただろう。
私は終盤まで気付くことなく、「ダーリントン卿は本当は偉大な優しい人なのね。そしてその人に仕えたスティーブンスも素晴らしい執事なのね」と思いながら読んでいた。
読解力の無さと無知というのは怖いものだ。
しかし最後になって、スティーブンスは、ダーリントン卿は騙されて利用された人であるし、自分はそれに薄々気づきながらも、主人を絶対に信じるという執事という仕事に徹するあまり、正すことができなかったことを自分の中で認める。
しかもダーリントン卿は、自分で考えた結果間違いを犯し、後にあれは間違いだったと過ちを悔いることができたが、スティーブンスはただ主人の言うことが絶対だと妄信しただけで、間違いを犯すことすらできなかった。
また、執事と女中の恋愛はご法度であるということに拘りすぎて、これも良き執事であることに徹したあまり、自分を思ってくれていた女中頭と結ばれることもできなかった。
そこまで人間らしくあることを捨てて執事であり続けたが、自分も年老いてきて、その執事の仕事も以前ほど完璧にできなくなってきた。この時は、執事であった父親が、亡くなる前にいくつかミスを犯すようになっていたことと今の自分を重ね合わせてもいたのだろうと思う。
今まで一生懸命自分を正当化してきたスティーブンスも、恐らく最後に元女中頭のミス・ケントンに抱いていた淡い期待を砕かれたことで、もうすべて受け入れざるをえなくなったのだろう。物語の最後、スティーブンスはある桟橋で、その時初めて会った老人に後悔を語り、涙する。
最後の最後に出てくるだけのこの老人の言葉が胸に響く。「以前ほど仕事ができない?そんなの皆同じさ。人間、いつかは休む時が来るんだよ」「一日の中で、夕方が一番いい時間だ。足を延ばして、ゆっくりするんだ」(今、本が手元に無いので、文章は正確ではありません)その言葉を聞いて、スティーブンスは桟橋で夕暮れを迎えながら、人生も夕方が一番いい時かもしれない、これから精一杯自分のできる仕事をしていくしかないと、また前を向く。
哀愁の中に希望を感じられるラスト、そして最後まで生真面目なスティーブンスに苦笑しながら、「いい本読んだな」という満足感に浸りながら本を閉じた。
先に書いたとおり、私はスティーブンスが「信頼できない語り手」であることを分からずに読んでいた。
それは、終始スティーブンスと同じ気持ちだったと言えると思う。
だから、私が終盤少し違和感を感じた時は、スティーブンスも「この話、ちょっと無理があるな」と感じたところのような気がするし(勝手な想像だけど)、最後にスティーブンスが涙を流すところは、私もこれまで語られたスティーブンスが崩れて悲しい思いになった。
だからこそ、桟橋で聞いた老人の言葉が、余計に心に迫った。結果的に、下手に下調べをして読まなくて良かったと思っている。
ただ、全てわかったうえで、もう一度読み返してみたい。
きっと、何度も読み返してさらに良さがわかる本だと思う。
そうなると、原文でも読んでみたくなる。他のカズオイシグロ作品も読みたくなる。
時間が足りないなぁ。
3年ぶり
3年ぶりにブログ開いた。
最後のムカつく女っていう記事の女には今も毎日ムカついている💩
大嫌い。
◯ねばいいのにとも思う。
でも本人にも周りにも気づかれてないと思うよ。
普通に接してるわたし、えらい偉すぎる〜👏
ムカつく女
なんでそんな言い方するんだろう。
興奮して赤い顔しちゃって。
それで後から、さっきはケンカ腰ですみませんでしたとかメールしてきてわざとらしい。
しかも全員にそのメール落とすのやめろバカ。
あの人ケンカ腰で何か言われちゃったのかな?と周りに心配されるんだよ。
それで、いえそんなことありませんよって、こっちは返さざるを得ないんだよ。
面倒くさい奴。いなくなればいいのに。
今まで我慢してるんだから、一度くらい書いたっていいでしょう?
最近やめたことと始めたこと
今まで長年習慣にしてたことをいくつかやめた。
①日記
2012年頃から日記をつけていた。さぼる時もあったけど、逆に一日に何ページも書くこともあり、昨年まで10年弱続けていたことになる。
やめた理由はいくつかあるけど、一つは、見ないから。そんなものを溜めていても仕方ないことに気づいて、まずは書くのをやめる前に、古いものを捨てた。そしてどうせ後で捨てるならと、書くのもやめた。
理由はそのニは、書いてることがだいたいネガティブだから。そもそも日記をつけ始めたきっかけも、諸々あまり上手くいってなくて、心の中を整理したいようなことだった。嬉しいことももちろん書くけど、だいたい長い日記なんて書くのは、心が靄ってる時。書かないでおけばそのうち忘れてしまうのに、うっかり見返して嫌なことを思い出してしまうこともある。そんなものを好き好んで残す必要もない。気持ちの整理だけなら、日記にして残さずとも、書いてすぐ捨ててしまえばよい。覚えていたいことは、日記に書かなくても覚えてる。
理由その三は、死んだ時に見られたら恥ずかしいから。死なないにしても、誰か家に上がった時に、うっかり見られでもしたら恥の感情だけで死に至りそうな気がする。日記を見られるという悪夢もにうなされたこともある。見られて恥ずかしいものなんて、持たないに限る。
そういうわけで、日記はやめて、全て少しずつ生ごみに混ぜて捨てた。とはいえちょっぴり記録はしときたい願望はあり、最近は、変わりにアプリの100年日記というのをつけている。あまり感情をいれずに、淡々とその日あったことだけ書いて、見られても恥ずかしくないものにしている。100年日記なので、例えば来年日記を書く時に、去年の今日はこんなことがあったな、とすぐわかるのも楽しそう。
②Yahooニュース
空いた時間があるととりあえずYahooを見てしまうという習慣を改めて、今年に入ってからは一度もYahooニュースを見ていない。何かを検索した時に、うっかり検索結果に出てくることはあっても、わざわざそのニュースを読みにはいかないようにしている。理由は、メンタルに悪い影響しか無いから。ニュースそのものが暗いとか気分悪くなるっていうのもあるし、芸能人が髪を切ったとかインスタに料理をアップしたとかなんていうのも、何故にこんなくだらないことをニュースにするのかと勝手に怒りが湧いてしまう。コメント欄など読んだらなお悪い。
なので思い切って一切見ないことにしたら、だいぶ心の健康には効果を感じている。本を読む時間も増えた気がする。どうしても手持ち無沙汰になったら、Twitterを見る。Twitterも気をつけないと見たくないもの見ちゃうけど、基本的にお店やスポーツのチームの公式だけをフォローしてるので、それを見てる分には不快指数が上昇することはない。YahooもTwitterも、個人のコメントは極力見ないに限る。
③ダイエットアプリ
あすけんというダイエットアプリを一年半くらいやっていて、その日食べたものを毎日かかさずに記録していたのだが、急にやめてしまった。理由の一つは、ダイエットしてもしなくても、冬になれば太り、春くらいには少し痩せるという体のサイクルに任せることにしたこと。そして、日記と同じで、記録してもあとで振り返らないこと。記録してても食べる時は食べてしまうので、罪悪感だけが残るというのもある。
アプリをやめるのと同時に、毎日体重計に乗るのもやめた。そのかわり、食べる時にゆっくり噛んで食べることにした。私は早食いだったのだが、何を食べるにも必ず30回噛むことを自分に義務付けた。まだ1ヶ月くらいなので今後分からないけど、てき面に間食が減った。ゆっくり噛んでると満腹感が増すので、食事だけで満足できる。これは今までのダイエットの中で一番効果的かもしれない。気付くのが遅すぎたな。
暗いこと
365日のうち365日くらい、「死にたい」と言ってしまう。心の中で言う時もあれば、口に出して言う時もある。朝目が覚めて、真っ先に頭にこの言葉が浮かぶ時もある。本気の時もあるし、実はそんなに思ってないけど癖で連呼してる時もある。人前では基本言わない。そして、本当に死んでしまうなんてことは怖くてできないってことも、自分でよくわかってる。
以前は今より仕事が辛かったから、毎朝起きたら死にたかった。というより、死にたいと思いながら目が覚める感じだった。目が覚めたベッドの中で、スマホでその方法を検索したりしてた。その頃も実行する勇気は全く無かった。けど、ちょっと普通の精神状態はなかったなとは思う。通勤電車にどうしても乗れなくて何本も見送ったり、会社の最寄駅で降りたくなくて何度も電車で往復したり、今だったらやらないようなことを、その頃はやってたなと思い出す。
今はもう、そこまで思い詰めるようなことはあまり無い。でも、思考の癖や口癖はなかなか抜けないもので、ついそういうワードが出てしまう。だけどその一方では、毎日美味しいもの食べたり、好きなことして楽しんだり、将来のために投資をしてみたり、勉強したりしてる。朝起きて、死にたいって言ったあとに、最近野菜不足だからちゃんと食べないとなって思ったりしてる。自分でも、生きたいのか死にたいのかどっちなん?って言いたくなる。
以前は、先の人生が長すぎてゾッとしてた。今は残りの人生の短さを思って震えている。朝は死にたいって思っても、夜には老後の資金を心配してる。長生きしたいなって思ってるし、死ぬのが怖い。死ぬのが怖いのは幸せだなって思う。死ぬのが怖いのは生きたいと思ってるから。生きたいと思うのは、今の生活のどこかしらに満足があるから。もしくは、将来に望みがあるから。
結局死にたいんじゃなくて、楽しく生きていたいだけだね。
2022/1/1(土) ニューイヤー駅伝
朝方にトイレ行きたくなって目が覚めて部屋を出たら、廊下の窓からちょうど初日の出が出てくるところが見えた。
日が出る時のオレンジってびっくりするほど濃くて、しかも自分に陽が当たった瞬間にポカポカを感じるくらい暖かかった。せっかくだから、窓からしばらく陽が昇るのを眺めてた。なんかいい一年のスタートかも、って思った。
一年のスタートは、いつも通りニューイヤー駅伝から。レースの詳細は書くと長くなるから省略。その他感想としては、①オリンピックのマラソンを走った後って、本調子に戻すの大変そう。②2区までの順位は当てにならない。③トヨタ自動車の5位は素晴らしい。④ひらまつ病院と埼玉医科大学グループがいないのが寂しい。⑤増田明美さんの出演が最小限だったのが好感度アップ。
埼玉県民としては、HONDAの初優勝を喜びたい。3区以降、着々と順位を上げていくレース、見事でした。